子供を保育園に預け、職場へ。朝の準備がたいてい終わってて、得した気分。きのう後輩に「朝の準備は、年下がやるみたいな慣習のある国に生まれたいよね」と言ったせいかも。局ってこういうのをさらっと言うんかね。

午前、給与関係で日銀へ。その後、公用車の点検に昭和まで。ナビに目的地をセットしたら、渋滞情報まで教えてくれる。「この先1キロ先、渋滞です」とか。少し早めに着くかも、と思ってたところだったのでよかった。けど、渋滞なんてどこにもなくて、15分も早くお店へ。待ってる間、『JAM』を読んで待つ。

午後、研修の旅費計算。地味。

妻に内緒で買ったDS Liteの支払を済ませてから帰る。きょうも居間は地獄。らでぃっしゅのチラシとか、おもちゃとか。生協に明太子を買いに行って、夕ごはんに明太子マヨネーズキムチスパゲティーを作る。スパゲティーの本にバター20、レモン、マヨネーズ大さじ1、明太子50、塩胡椒とあったので、塩だけ抜かして、あとはその通りに作る。予想してた味ではなくてびっくり。もっとマヨネーズの主張の強いのを想像してた。

夜、森達也姜尚中の本を読む。

68頁、「ほんとうに自由ならば散漫なはずなのに、いつのまにかこの意思の集合体が、一方向に収斂してしまっている。ところが一人一人は自由意志のつもりでいる。この状況が怖いんです。独裁者の恐怖などと人はよく言うけれど、ほんとうに怖いのはこの擬似の自由意志の集合体です。独裁者はむしろ後づけの場合のほうが多い」(森達也)。

80頁、「だから、僕は最近、「なぜ」というものがそれほど重要なことじゃないのではと思っているのです。人はなぜそれをやったのかということより、それが起きてしまったことを通じて、どう変わったかとか、あるいは、今の自分がそれをどういうふうに受けとめているのかとか、むしろそちらのほうを議論すべきだと思うのです」(姜尚中)。

84頁、「我々が悪と言っているものは、結局わからないので悪という言葉を使ったりするんじゃないか。悪魔的、非人間的。それはどうしても了解不可能だから、最終的にそれを狂気と言ってしまう。それは、さきほどの話に戻すと、そう言ってしまう自分の条件は何なのかが問われているにもかかわらず、自分が正気で、自分側のスタンスによってしか物事は見えないんですね」(姜尚中)。