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「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

17頁、「「わかった」と感じるその「わかった」とはどういうことなのか?色や形が言葉に置き換えられる、ということだ。もっといえば、色や形のままでは百も二百もあった要素が、わずか数個の意味の言葉に縮められる、ということだ。そして縮められた言葉は、”現代社会”なり”戦争の悲惨さ”なりという、絵の外にある既成の概念と結びつく。「わかる」ためには、たぶん短い言葉に縮められるだけではダメで、作品の外にある言葉や概念と結びつく必要がある。そのとき、作品は作品それ自体でなく、読み解く対象、つまり媒介となってしまう」。

52−53頁、「”客観”というのを、何人もの人間に共有されうる共通了解だと考えると、それは情報の縮減を意味することになるだろう(中略)体験というものは”主観”であり数値化できない。しかし、”主観”であり数値化できないがゆえに、個人の生き方を左右する力を持っている。堂々巡りみたいだが、その力もまた数値化できない。しかしあいにく私たちは日常生活という場で、そのような”主観”を伝えうる強度を持った言葉を話していない日常のコミュニケーションの次元で求められているのは、脱色されて簡単に共通了解が得られる”客観的”な言葉でしかない」。」

後半のフロイトらへんは全然読んでもわからず。

分かりやすい法律・条例の書き方

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罪と罰、だが償いはどこに?

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