88頁、「患者本人は、長時間にわたる主張と語りの場を確保されたことで、おそらく病状へと連なっていた夫への強いわだかまりや不満を解放するとともに、強引に連れてこられたことへの怒りを訴え続けることで、強い入院拒否の訴えとは裏腹に、入院へのある種の受け入れを感じ始めていたのではないだろうか」。

95頁、「入院とは患者にとって、なじみ深くまたみずからの病いとも重なる固有の生活環境から離れ、新たに治療や看護介入を伴う場に置かれることを意味している。そして、そこで「行なわれる」のはたしかに必要とされる治療や看護なのだが、そこで「起こる」のは、たとえば臨床人類学が教えるように、当事者それぞれが病いに対して抱く説明モデル間の葛藤やその調整過程ということになる。(中略)そのような葛藤の困難な調整過程においては、たとえば治療や看護の微小文化的なあり方が、患者本人に新たな病的状態すら生み出し、なおかつそれを再度医療の対象としていくという悪循環さえ生じる可能性が考えられる」。