図書館で借りた。
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30頁、「しかし、それは考えてみたら当然のことである。そのときどきに、大変なことをそのまま感じとっていたら、恐らく生きていくことはできなかったのだろう、だから、そういう感情をまったく切り捨てて、人生というのはこういうものなんだ、自分が体験したことだってたいしたことではないんだと思おうとする」。

34頁、「つまり、それは「私は何とか生きたいんだけども、その裏にある死の気配を周囲の人に感じてもらえないなら死にたいとしか言えません」ということなのだ。そういう人の「死にたい」という言葉は、「生きたい」ということの表現なのである」。

126頁、「その事例が教えてるのは、主訴や問題行動の解決方法などではなく、河合隼雄という臨床家とクライエントとの関係がいかにして築かれていくのかという心理療法の過程であり、築かれた関係を生きることがいかに重い責任を担うものであるのかという臨床家の覚悟すなわり関係を生きる責任の重さであり、さらにはい子の人間が人生の物語を生きることの苦悩や人間が生きる意味の深層にふれる河合隼雄という臨床家の在りようなのである」。

175頁、「(谷川俊太郎の意見)「子どもと悪」を読んでいると、河合さんには「悪」あればこそ他人と共感できるし、他人も理解できるということを、体得していると感じますね」。

206頁、「(柳田邦夫の追悼文にでてくる夫をがんで亡くした女性の手紙)ようやく最近次のように考えることができるようになりました。夫との出会い、そして別れは、私にとってどのような意味があるのかと。その答えを求め続けることが生きることなのだと思われます。「なぜ!?」と問うと、哀しみしか返ってきません。でも、どんな意味が・・・と考えると、悲しみの中でようやく立てるように思います」。