134頁、「人間としていちばん辛いのは暴力とかではなくて、無視と排除。地域がちゃんと一人の人間として包みこんでいく社会に変わっていかないと、結局犯罪は減らないんだ。」

135頁、「刑務所が怖いところだというのは単なる刷り込みなんだけど、実際に行ってみた人はそんなにいないんじゃないかな。清潔だし、安全だし、笛一つで統制がとれているし、そういうところをもっと見せていかないといけないだろうね。反対するなら、まず行って見てください。で、どういう人たちなのかというところを見て、自分たちと同じ人間なんだということを知ってほしい。」

143頁、「そういう意味では、ロイさんがよく言っていた「よろしければ、どうぞ」という言葉は、究極のパラドックスだね。それは「あなたがよろしければ、あなたの責任で」ということなんだよ。(中略)例えば「おまえ、ミーティングに行こうぜ」って言われると、僕は「嫌だ」って言うのがわかってるんだ。それは強制だから断りやすい。でも、「近藤さん、よろしければミーティングに行きましょう」って言われると、断りにくいんだよね。これって自己責任を突きつけられているんだよね。だから日本の裁判の大きなまちがいは、自己責任がないことなんだ。全部国家が決めてくれる。警察も自己責任がない。自己責任ということを気づかせてくれるための言葉を知らないよね。「あなたはどう?」「あなたはどうしたいの?」っていう言葉が、これらの人たちからは聞いたことがない。だから人を自立させたかったら、やっぱりこういう言葉だよ。決めるのは誰でもない、あなたです。」

172−173頁、「形式だけの宣誓を誓わせるくらいなら「何をしたら、どうしたらやめられるんですか?」とか「あなたの場合は何が不足しているんですか?」というように、何が問題でクスリとかかわっちゃうのかを気づかせる、そういう裁判にしてほしいね。(中略)だからそうじゃなくて、やっぱり「あなたは自分の体を自分で壊している。我々としては見るに耐えないから、これ以上壊さないために、あなたはこれからどうやっていくんですか?」という方向に裁判が向かうようにしないとね。それと、裁判のその先が刑務所では、だれも救われないよ。(中略)そこで、裁判長が「あなたは、これからどういうふうにしていくつもりですか」という言葉をかけないのは、被告の将来を本当に考えてないということだよ。判決を下した後の責任は、司法にはないんだよね。判決を出してそれでよくなればいいけど、そんなことはあり得ない。」