6頁、「ケアプランは利用者のニーズ全体を理解したうえで、あえて不十分、不完全な部分を含めることによって、利用者の責任と主体性を生かすことができる。たとえわずかでも、些細なことでも、利用者の責任部分を本人との話し合いを通して明確化する。お仕着せではなく、本人が決めることが生活への意欲、責任意識につながる。どのような心身状態の人であれ、自分で自分のためにできることは必ずあるとみるべきである」。

9頁、「したがって現場には、こうすべきというおよその原則はあるものの、あくまで一人ひとりが独特で、それぞれの人それぞれの援助場面にそれぞれの答えがあるにかすぎないと考えるべきである。しかし、決められた正しい答えがないからこそ、現場は常に創意工夫する力、創造する力を育てることができる」。

91頁、「私の援助が目指しているものとは正反対の迷惑や暴力として機能していたとしたら、クライエントと良い関係なんて作れないのは当然ですよね。福祉現場で仕事を始めて四年がたちます。クライエントをこうしたいという私の願いの実現が、実際にはコントロールとして行われていたことが分かったのです。ですから、相手をコントロールしようとすることは無力であることを認めることが大切なんだと思うのです」。

107頁、「しかし、拒絶を単に拒絶と捉えてしまえば、彼女にかかわりはじめることはできない。彼女の拒絶は、「あなたたちの都合だけで、私にかかわらないでほしい」というメッセージと考えることもできる。また、怒りのことばは、じつは孤立感や生活上の困難に対する助けを求めることばと捉えることもできる」。

257頁、「これらのことから、私にとっての共感とは、「異質のものが、一つの空間のなかで互いの感情を発信し合い、そして互いがそれを受け取って、相手に対する感情を膨らませていくこと」だと思う。この空間とは、すなわちかかわりのことである」。

261頁、「私は彼の言うように、親もあり大学生でもあり女である。そして彼は、最初から私を住む世界の違う人として置き、自分とのあいだに線を引いていた。(中略)今の私のままでは彼と話すことが出来ないのか、同じ苦労や経験をするしかないのか、とさえ思った。(中略)そして結論は、私は彼とは同じにはなれないということだった。(中略)たとえ、どんなに境遇が似ていても、その人と同じになれないのではないかとも思う、むしろ、同じ体験をすればその人と同じ立場になれるとか仲間になれるといった考えはおごりであると思った。(中略)違う人間同士で共感したりお互いの苦しみや痛みをわかったりするということはどういうことだろうか。人との違いを受け入れられるような人になりたいと思う」。