図書館で借りた。スープカレーのお店、どこのことなんだろう。

51頁、「果たして、彼はあの彼だった。世界一周旅行から十五年、何をどんなふうにしてかわからないが、彼は札幌でスープカレーの店を開いているのだった。自分の店で作っているというカレーが、真空パックに入って送られてきた」。

55頁、「店先から、あるいはすれ違いざまに、若い男たちが「ナカタ!」「ジャポン!」と笑顔で声をかけてくるのが、だんだん煩わしくなってくる」。

65頁、「うんと年上のホテルの人が、私の荷物を運んでくれたとして、「チップを渡さなきゃ、ああでも、自分の親ほども年上のこの人に、お金、しかも小銭を渡すなんてそんなこと、してもいいのだろうか、不遜ではなかろうか」と、ぐずぐずと戸惑うのである」。

85頁、「私もかつて恋人と貧乏旅行をしたことが幾度かある。おもしろいくらい、毎回喧嘩になる。そして相手のことがちょっと嫌いになる。理由はいくつか考えられる。まず、「耐えられる」レベルが人によってずいぶんと違うこと」。

184頁、「しかし、違うのだ。才能とは、彼女の手入れみたいなものだ。誰かに見つけてもらうものでもないし、何もしないでそこにあるものでもない。手間と時間とお金をかけるのがまったく苦にならないこと、果てしなく続くくりかえしに耐えられること。苦になるかならないか、気づけるほどまだ何かしたこともない二十歳のコムスメが、易々と手に入れられるようなものではないと、若き日の私は知らなかった」。

237頁、「母という役割の、そのすさまじさを私は思った。自分の子どもに、無傷な状態と絶対的な幸福を願い、願うあまり自分の与えたものに日々不安を覚え、昨日と三十年前が等しい後悔として在り、身ごもった瞬間からおそらく死ぬまで、終わることのない責任感を抱き続ける。そう考えると、母の前にひれ伏したい気持ちになる」。