昔買って、そろそろブックスキャンに出してしまうため再読した本。

39頁、「もしも、私が子どもに加害して刑務所に入れられたら、家族はどうなると思います?サポートできる人間が誰もいなくなってしまいます」と、彼は言う。皮肉にも、あまり幸せとはいえない今の境遇が、性犯罪への抑止力として働いている。」

45頁、「小児性愛者の多くは、自慰行為によってのみ欲望を発散させていて、どれだけのコレクションを所有し、口ではどんな卑猥なことを言っても、実際の行動には移さない人がほとんどだ、と青柳さんは言う。その一方で、たとえ一握りではあっても、現実の子どもに加害する人たちがいるのも事実だ。「性加害者は、性犯罪の手口を熟知している。裏を返せば、防犯のエキスパートともいえる人々。犯罪に至るという失敗をしてしまった彼らの教訓を生かすために、社会はもっと性加害者を積極的に用いるべきじゃないでしょうか。倒産した会社の社長を二度とその業界に戻れなくするような日本の社会は、やっぱりどこかおかしいと思う」。

70頁、「射精し、いったん興奮は治まっても、それによって、背景にある人間関係や感情の問題が解決されるわけではない。すると自慰行為が呼び水となって、さらなる興奮を求めてしまう。その悪循環から脱出しない限り、対象は現実の男児へと向かっていく。自慰行為が、そこにとどまる防波堤になっていないんです」。

71頁、相互援助グループ「SCA(セクシュアル・コンパルシプス・アノニマス」。

78頁、「他者からこういう行為をされたら”体の境界線”を侵害されたことになる、と学ぶ機会が私にはなかった。自分が”境界線”を踏みにじられたことにも気づけない人間は、他人の”境界線”に侵入してしまっても気づけないんです」。

86頁、「今まで難しく考えてきたけど、要は自分に起きている現実としっかり向き合い、一日一日を送ればいいだけのこと。向き合うのがつらいときは、問題行動を起こさない範囲で、おのずと問題行動なんてしなくなるはず。問題行動をやめることは目的じゃなくて、その日一日の結果に過ぎなかったんです。複雑な生育歴をたどってきたけど、出た答えはいたってシンプルなものでした」。

120頁、「「男性は総括して物語を語るのが好きな生き物。相手の持論を聞いて7割くらい合っていれば、『そうそう』って納得する。ところが、女性は他人との細かい違いにこだわる。だから相手の持論が7割くらい合っていても、残り3割の違う部分が気になって仕方ない。その3割の中に、自分に関わることが含まれていようものなら、『それは女性全般じゃなくて、あなた個人の話でしょ』と言いたくなるわけです」。

45頁、「刑務所に入っても数年間は、「私は悪くない」という考えは変わらなかった。だが、ある時、息子が婚約者を連れて面会に来た。彼女の体には新しい命が宿っていると知らされた。「私は孫の顔を見られるが、あの人は見られない」。その時初めて、自分は取り返しのつかないことをしたと思った。「ほかに解決方法はなかったか」と後悔の念が押し寄せてきた。」

57頁、「「自分は潜在的に事件を起こす要素を持ち合わせていたのだろうか」「でもその程度の経験は誰にでもあるはずだ。それなのになぜ、自分だけが刑務所にいるのだろうか」と一人で葛藤したこともある。そんな自省を日々繰り返す中で、刑の長さへの不満は、次第に薄れていった。」

57−58頁、「経済事件では、行為の評価が主に被害額と手口の悪質性で決まるため、これらが量刑を大きく左右することになる」と説明する。」

64頁、「「被告の更生可能性を予測して刑期を決めるのは危うい。裁判官は遠い将来を見通せるほど万能ではない。被告がすでに犯した罪に見合う刑を決めることが、量刑なのだ」」。

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48−49頁、「長引く不況の影響もあって自宅から通勤・通学する人が増えています。子どもの数が減ったことで、親もまた、手厚く世話をし続けてしまいます。それでも、ずっとそうやって家にいるんならいいんですよ。しかし、そんなふうに「面倒」をみてもらっていた人が、結婚するとどうなるでしょうか?結婚とは、今までまったく別の環境で育った人間同士が一緒に暮らそうとする、かなり強引な行為です。恋人の期間が長かったとしても日常での関わり方が一気に増えることになります。異なった「面倒の見られ方」をしてきた2人が、今までを基準に互いを、あるいは一方が面倒を見始めるのです」。

97頁、「「こういう難しい名前の生徒の親は、クレームも多いんですよ」高校の先生は、そうもおっしゃっていました。僕は、これは単なる偶然ではないと思っています。親は自分の子どもが立派な人間になることを願って名前をつけます。あくまでも究極の目的は子どもが素晴らしい人間に成長することであって、名前はその過程において、なくてはならないものではありますが、1つの「道具」であることも事実です。人の名前を読み間違えることは失礼なことです。しかし、「普通」に読めないような名前は、やはり読めないのです。そういう名前をつけられた子どもは、誤読されて嫌な思いをする、あるいは、いちいち説明しなければならない煩わしさを一生抱えて生きてくことになるのです。だから、「本質」がわかっている親は、「普通」の名前をつけるのです。こだわるべきは名前ではなく、その子のあり方そのものなんです。」 

109頁、「人は自分の興味がある分野に権威を感じます。なかでも、優劣感かコンプレックスを抱いている分野においては、強い権威トレンドが発生します」。

126頁、「人は自分の判断基準に従って生きています。「こだわり」があるという言葉は、自分の判断基準を譲らない、という意味です。しかし、あまりにも「こだわり」が多すぎると、自分の世界を小さく閉じてしまうことになります。本当の「大物」は、実にこだわりがすくないものです。相手の判断基準に合わせて自在に立ち回る自信があるからです。したがって、「こだわり」の多さは「小ささ」の証明、と言えるのです。本当は、「こだわる」必要のあることは少ないのです。」

132頁、「いつも「いや」と言っていると、いいアドバイスが来る流れまでも断ち切ることになりかねないのです。ここはひとつ大人になって、よほど理不尽なことではない限り、いったんは「なるほど」と受けとめる習慣をつけましょう。あとから否定するのは簡単なんですから」。

171頁、「今、仕事がうまくいかないなあという感覚を抱いている人がいれば、本当に自分が「勝ち易き」場所にいるかどうかを考え直すことも、必要なことです。「幸福の秘訣は自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ」。イギリスの劇作家ジェームズ・バリーのこの言葉は、表現こそ違え、今まで述べてきたことに通じるものがあると思います。」