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気持ちが伝わる話しかた―自分も相手も心地いいアサーティブな表現術

気持ちが伝わる話しかた―自分も相手も心地いいアサーティブな表現術

134頁、「「怒りの感情をもつこと」と、「攻撃的な表現をすること」を分けて考えてみてください。怒りの感情とは、相手を責めるものでも自分を責めるものでもありません。「怒り」とは純粋に、「怒っている」という感情だけなのです。相手も自分も責めずに怒りの表現をするためには、まず心の中で、「相手が全面的に悪い」というモードにならないようにすることです。あくまで、「腹を立てているのは自分であり、自分の責任で怒っている」というスタンスに立って相手と対等に向き合います。怒りを感じるのも表現するのも自分であるというところから出発し、相手のせいで自分が腹が立つ、私が怒るのはあの人のせいだ、と自分の怒りを他人のせいにしません」。

145−146頁、「批判の矢が飛んできたときには、「だって」「そうじゃなくて」「そんなことないよ」と打ち返すのではなく、ちゃんと両手で受けとめましょう(中略)ここで重要なのは、批判を「受けとめる」ことであって、「受け入れる」ことではありません。批判のボールを両手でキャッチする、というふうに考えてみましょう。受け入れてしまうと、”同意する”ことになります。そうではなく、「受けとめる」とは相手の批判を聴き、ちゃんと聴いたことを態度で示すことです」。

151頁、正当な批判と不当な批判。批判される必要のない領域(生まれ、人種、生まれもった骨格や体格など変えようのない部分)、批判されてもしかたのない領域(行動、態度、考えかた、言いかたなど本人が変えることのできる部分)。

164頁、「自分にはいい面もあるし、あまりよくない面もある。だからこそ、あなたというユニークな存在ができているのです。等身大の自分を知っておき、自分の評価すべき点もすべて自分であると認めてあげましょう」。

174頁、「では、アサーティブに伝えたら、相手は理想の人になるのでしょうか?残念ながら、相手が理想の人に変わることはありません。アサーティブに伝える目的は、相手を理想のパートナーや上司に変えることではありませんし、それは不可能です」。

178頁、「自分にとっても相手にとっても納得する結果を求めるのが、アサーティブな話し合いです。態度や伝えかたがどれほどアサーティブであったとしても、自分が満足するように相手をつくり変えようとする下心や、コントロールしようとする気持ちがあるとすれば、それは本当の意味で対等な関係にはなりません。態度だけでなく、心のまなざしも対等なものにするためには、「相手を自分の思いどおりにしたい」という欲求から自由になっておく必要があるのです」。

193頁、「相手と本当にアサーティブに向き合おうとしているのか、一つひとつのステップを見ていく必要があります。具体的には、次のことを確認してみてください。①事実は本当に客観的か(対等な立ち位置からはじめているか)/②相手を責める気持ちからはじめていないか(感情に攻撃が含まれていないか)/③自分に下心はないか(相手をコントロールする要望になっていないか)/④結果は自分も相手も納得するものか(自分だけが満足していないか)」。

196−197頁、「場合によっては、相手をコントロールして何かをやらせることもできるでしょう。しかしその方法では、長い目で見たとき、お互いの関係が対等なものから離れていってしまいます。人間関係の問題の半分は自分にあり、変えられるのは自分だけです。相手を変えることはできません。自分の側の50%の責任を果たして自分が変わることで、確実に変わることがひとつあります。それは、自分は果たすべき責任を果たしたという満足感や納得感が、相手や自分を責めていただけのときに比べて、格段に上がるという点です」。

198頁、「相手との人間関係で生じた問題のうち、「自分の側の50%の責任」を認識すること。その50%の自分の責任に100%向き合ってできるだけのことをしようとすること」。

206頁、「相手に受容されることを軸としていれば、いつまで経っても相手次第で自分の価値が決まってしまうことになります。人間関係で相手が100%イエスと言ってくれる関係は存在しませんし、存在したとしても健全な人間関係ではありません。でも、自分に軸を置いていれば、誰が何を言ったとしても自己信頼を保つことができます」。

216−217頁、「「通じない」体験をすると、私たちはつい「こっち側」と「あっち側」に分けて、あたかも対立しているかのように考えてしまうことがあります(中略)このような対立構図に陥ると、「通じなさ」の感覚はますます深刻になります。そして「通じない」ことが何度か続くと、結局「私はどうせ○○だから」「あなたはどうせ○○だから」と、お互いの属性のせいだと考えて、コミュニケーションをあきらめてしまうのです。「葛藤を引き受ける」とは、どんなに対立しても、反対にあきらめそうになったとしても「話し合い」という選択肢を最後まで捨てないということです(中略)それには、自分をよく見つめると同時に、相手の立場もよく理解しようとする心構えが不可欠になります。立場は違っても、”同じ人間同士である”といところに立つことが出来れば、「こっち側」と「あっち側」をつなぐ架け橋ができるからです」。

219−220頁、「最後にに人間のもつ「話し合う」という特性について考えてみましょう。言葉をもたない動物は、「話し合って問題を解決する」という問題解決の手段をもちません。動物、特にテリトリーをもっている動物(鹿でもライオンでも、鳥でも)の場合、敵が急に襲ってきたときの対応は二つに分かれます。ひとつは戦う、もうひとつは逃げる、です。戦うことは英語でfight、逃げることはflightといいますが、動物の場合、危機的状況や対立状況での反応は、「fight」か「flight」のどちらかになります。そのため、お互いにとってベストな問題解決は「闘う/支配する」か「逃げる/支配される」という、二つにひとつの選択となってしむのです。この二つは文字も読みかたも似ているので、コミュニケーションの話でよく引用されます。一方、人間は、闘うでも逃げるでもない第三の道、つまり「話し合って問題解決する」ことを選ぶことができます」。