コーチャンフォーで買った。手元に置いておきたい本。第1章の人間関係編、第4章のリーダーシップ編が特に参考に。

【送料無料】「ビミョ-な人」とつきあう技術

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22−23頁、「それ以来、僕は相手が取る行動パターンから、その人の価値観を感じ取り、それを否定したり軽視したりしないように気をつけるようになった。何も自分の価値観まで変えることはない。無理して相手に合わせるのではない。相手の価値観を尊重するようになっただけのことだ(中略)人は自分の価値観や信念をもとに行動を選択する。そして自然に相手にもそれを求める。それに気づくといろいろな謎が解ける。そしてどのように対応すればいいかが見えてくる」。

32頁、「「何を語ったかではなく、誰が語ったかが、人の心を動かす」。つまり、多くの人に影響を与えるリーダーとは、正論を振りかざす人ではなく、信頼を積み重ねてきた誠実な人である、ということだ」。

41頁、「過去と他人を変えることはできない。しかし、未来と自分を変えることはできる」。

44−46頁、家族プログラム(1)相手にしてもらって嬉しかったこと、言ってもらってうれしかった一言。(2)イヤな気持ちになったこと、腹が立ったこと、辛かったこと、悔しかったこと。

69−72頁、「ホテルディアモント新潟西、圧倒的に清潔である。ただ、それだけが理由だったのだ」。

146頁、「1、人を育てるには、相手にホワイト・スペース(余白)を与えることが必要。2、WHAT(何をすべきか?)は示すが、HOW(どうすべきか?)は任せる。3、ただし、大まかな方針「理念」の共有は必要。さもなくば収拾がつかない」。

165−166頁、「「僕がバットの種類を変えないのは、打てなかった時に道具のせいにしたくないからです。」続けて彼は言う。「打てない時に、バットを変えてしまうと、何かあるたびにバットを変えていくようになる。そういうバットのせいにする人間になりたくないから道具を変えないんです」。僕は二重の意味で驚いた。(中略)「他責」である限り、人の成長はない。すべては他人のせい、環境のせい。自分は悪くない。これでは進歩はない。逆の「自責」こそが成長を生む。問題の原因は自分にある。自分を変えることで問題を変えよう、と発想する。その結果、変わっていく。成長していくのだ」。

183頁、「立場や役割として話すのではなく、べき論や正論で話すのではなく、一人の人間対人間として話す。そんな大切なことを木戸さんは教えてくれた。コーチングの言葉で言うならば「アイ・メッセージ」で話す、ということだ。主語を”YOU”(あなたは)ではなく、”I”(私は)で話す。ユー・メッセージは断定的だし、評論家的、客観的だ。「あなたは『ただいま』というべきだ」。これでは心に響かない。主語を変えるのだ。主語を「私は」に変えて、アイ・メッセージで話すのだ。「お父さん、寂しいじゃないか」。その言葉はあくまで主観の提示にとどまり、断定の意味が弱くなる。感情を伴い、人の心に響きやすくなるのがわかるだろう」。

188頁、「伝える、ということと、伝わる、ということは同じようで全然違うんだよな。コミュニケーションっていうものは伝わったかどうかがすべてなんだ。伝えたかどうかはまったく関係ない。いくら一生懸命たくさん伝えていたとして、結果として伝わっていなかったらそれはコミュニケーションが取れていなかったということになるのだよ。逆に一言しか言わなかったとしよう。でもそれで伝わっていたならば、それはコミュニケーションが取れている、ということになるのだな」。

190−191頁、「子供が親の言うことをきかないのと同じように、部下が上司の言うことをきくとは限らない。しかし、親の言うことをきく子供がゼロではないのと同じように、上司の言うことをよくきく部下もゼロではない。では、その違いは何なのか?それは、過去から現在につながる2人の間の信頼関係の蓄積、だと僕は考える。親は子供からどれだけ信頼されているか?(中略)母親が子供の気持ちを無視して親の都合を押しつければ、子供は母を信頼しなくなる。(中略)人間には返報性という心の動きがある。恩を受ければ、返したくなる。お世話になれば、お返しをしたくなる。誰にでも生まれつき備わっている心の動きだ。」。

205頁、「人は大人になるにつれて、誰かのために生きる、ことの割合が増えてくる。自分の好き嫌いでものごとを決めるのではない。責任を負う人々の、肩に背負う家族や地域や職場の人々のために生きる割合が増えていくのだ。それを辛い、と思う人もいるだろう。それを我慢、と思う人もいるだろう。しかし、大人になる、ということは、それが辛くもなければ我慢することでもなくなることなのだと思う。つまりは、「誰かのため」に尽くすことをごく自然にしてしまいたくなる。人の役に立ちたくなっていくことなのだと思う」。